音楽に飢えていた人の音楽
2004年には「左手のピアニスト」として復帰したとか
そのカタは少し右足をひきずるように中央に歩いていらっしゃいました
右手はだらんとして、首も少しかたむいていたかな
ピアニストが右手を使えなくなった時の気持ちはどんなだろう
復帰しようと思うまでの心の支えになったものは何だったのだろう
音楽に対する 飢え だったらしい
右手とか左手とかあんまり関係ないんだきっと
全身で音楽していらっしゃいました
どれだけリハビリに励まれたのか
使えなかったはずの右足でペダルを踏んでいらした
さまざまな作曲家が彼のために左手のピアノ曲を作ったようです
きっと魅力的な人物なのです
勇気も元気も感動も音楽も前向きな気持ちも
2時間の間に 色々なものをいただいてどっぷり浸りました
ありがとうっ!
4丁目のじいさんにちょっと雰囲気が似てたかな
そこらにいそうなすごい人でした
この記事へのコメント
情熱だね
転んでも起き上がる人、すごい
元々なら比べるものがなかろうけれど…途中で、ましてやピアニストで…って、それでも続けるって凄い決心・覚悟だなぁ。
「左手だけで弾いた方がより音と深く関われる」というのは昔から思っていらしたことみたいで。
倒れた後に大海原を感じたのはアメリカの作曲家の書いた楽譜を左手で演奏した時で、手が一本も二本も三本も関係ないって思ったんだって。
音楽は全身で演奏する、と。
それは戦争で右手をなくした友人のためにブリッジという作曲家が書いた左手のためのピアノ曲だったらしい。
右手さえあれば・・・って思ったことないんだって。
でも誰にでもできることではないよね。
> ナハ子
転んじゃったから、もういいや、って思うよ私だったら。
転んじゃったからー もうしょうがないから。
とか。
どん底からだよ。
すごいよねー。
だから一度演奏ききたいと思ってたの~!!
何しろ、40年前はイケメンで、追っかけてたんだよ。かっこよかったよ~!!
完全に順風満帆の絵にかいたようなピアニストだった。
だから、ショックだったんだよ、chacha、ずっと応援してたよ。
ところで、先週夫と阿修羅に再会してきたぞ!!
興福寺、いったぞよ!!
阿修羅像はかなり扱われ方が違っているんだろうなぁ昔とは。
15年くらい前に興福寺に行った時にはなにげないところに何気なくあって
向き合っていたのは私一人だけだったけど。
国宝館とかだよね今はきっと。
ピアニストは今でもステキな方だと思う。
いまだに追っかけやってる人、いそうだよ(^^)
誘ってくれたお友達も「若い頃聴きに行ったことがあるんだよ」って言ってたもの。
大人気のピアニストだったんだねきっと。