音楽に飢えていた人の音楽

2002年 舞台の上で倒れ  右半身不随となったそうです。



2004年には「左手のピアニスト」として復帰したとか


そのカタは少し右足をひきずるように中央に歩いていらっしゃいました
右手はだらんとして、首も少しかたむいていたかな







ピアニストが右手を使えなくなった時の気持ちはどんなだろう

復帰しようと思うまでの心の支えになったものは何だったのだろう






画像









音楽に対する 飢え だったらしい





右手とか左手とかあんまり関係ないんだきっと 


全身で音楽していらっしゃいました


どれだけリハビリに励まれたのか
使えなかったはずの右足でペダルを踏んでいらした



さまざまな作曲家が彼のために左手のピアノ曲を作ったようです
きっと魅力的な人物なのです



勇気も元気も感動も音楽も前向きな気持ちも
2時間の間に 色々なものをいただいてどっぷり浸りました

ありがとうっ!

4丁目のじいさんにちょっと雰囲気が似てたかな
そこらにいそうなすごい人でした



この記事へのコメント

ナハ子
2013年06月10日 13:16
すごいな
情熱だね
転んでも起き上がる人、すごい

あめめ
2013年06月10日 15:28
ついこの間、こういう話題が出た。麻痺する時って右手が多くて、だから世界中の有名作曲家が残したものでも「左手のための…(ソナタなどの大きな曲。練習曲はね、別ものだから)」ってあっても「右手のための」って無いとか、そういう話をした。昔の有名どころの西洋のピアニストも、右手が不自由になった人が多かったから。
元々なら比べるものがなかろうけれど…途中で、ましてやピアニストで…って、それでも続けるって凄い決心・覚悟だなぁ。
たた美
2013年06月10日 23:26
そうそう、そもそも倒れる前から「左手のための・・・」を弾きたかったみたい。
「左手だけで弾いた方がより音と深く関われる」というのは昔から思っていらしたことみたいで。
倒れた後に大海原を感じたのはアメリカの作曲家の書いた楽譜を左手で演奏した時で、手が一本も二本も三本も関係ないって思ったんだって。
音楽は全身で演奏する、と。
それは戦争で右手をなくした友人のためにブリッジという作曲家が書いた左手のためのピアノ曲だったらしい。
右手さえあれば・・・って思ったことないんだって。
でも誰にでもできることではないよね。

> ナハ子
転んじゃったから、もういいや、って思うよ私だったら。
転んじゃったからー もうしょうがないから。
とか。
どん底からだよ。
すごいよねー。
chacha
2013年06月12日 22:16
この方のことは、ずーーーと注目していました。
だから一度演奏ききたいと思ってたの~!!
何しろ、40年前はイケメンで、追っかけてたんだよ。かっこよかったよ~!!
完全に順風満帆の絵にかいたようなピアニストだった。
だから、ショックだったんだよ、chacha、ずっと応援してたよ。

ところで、先週夫と阿修羅に再会してきたぞ!!
興福寺、いったぞよ!!
たた美
2013年06月12日 22:43
あしゅらーーーー♪
阿修羅像はかなり扱われ方が違っているんだろうなぁ昔とは。
15年くらい前に興福寺に行った時にはなにげないところに何気なくあって
向き合っていたのは私一人だけだったけど。
国宝館とかだよね今はきっと。

ピアニストは今でもステキな方だと思う。
いまだに追っかけやってる人、いそうだよ(^^)
誘ってくれたお友達も「若い頃聴きに行ったことがあるんだよ」って言ってたもの。
大人気のピアニストだったんだねきっと。

この記事へのトラックバック