想像の上を行く認知症

父(94)が亡くなり

遺された母(85)は、10年以上認知症です
糖尿病が原因で 認知症になりました。
85歳になった今でも、あまり症状は進んでいません。
自分の名前も書きます。
私が たた美だ、ということはわかります。

でも認知症です。
「たた美は、私の子供?」などと聞いて来ます。


父は、認知症の母の介護をしていました。
食事も洗濯も掃除も

90歳を過ぎても買い物に行っていました

銀行に行く道すがら 父は言いました
「あいつはワガママでワガママで」

もう足がおぼつかない父に「何か食べるもの買って来てー」なんて平気で言ってたみたいだからね
あの調子で人生来たんだろう

「でも、俺は守って守って守って来たんだよ」
父は言っていました。


何から?
父は、母を何から守って来たのでしょう。

親戚づきあい
お金
父の親を介護すること

他にもいろいろとあったのかな

父にとって、母はとても大切な人でした

だから守って来た

人生かけて守って来たんです、きっと。
いろいろな しがらみから。

晩年の父は
生きること、生き続けることに重きを置いていました

「オレが死んだらお母さんには年金がいくら出るんだろう。悪いけどちょっと調べてみてくれる?」

私は、関係する事務所まで行って聞いてきました。
一人になっても大丈夫。
二階には息子の家族が住んでいるし、大丈夫。


父は 自分亡きあとの母のことが気がかりでした
「オレより早く死んだらダメだよ。1日でもいいからオレより先に死んだらダメだ」と言っていました。
母は「そんなことわからないよ」と素っ気なかったけれども。


母は

父が亡くなったら どうなるのか
私はかねがね想像していました

予想された母の言葉

「お父さん、遅いね」
「お父さんがまだ帰っていないから鍵かけたらダメだよ」
「お父さんはどうした?」


父がいなくなったことがわからない。
たぶんそうだ。
このようなことは想定内でした

きっと母は、父が亡くなったことを忘れて、何度も「お父さんは?」って私に聞く。
それは想定内でした。

実際、何度も「お父さんはこの前死んじゃったよ。そこにあるのが遺骨」と私は答えました。
何度も。

そのたびに母は「お父さん、なんで死んだ?」と聞きます。
「老衰。94歳だったんだよ」と言うと
「老衰じゃしょうがないね」と。


でもでも。

認知症は、想像のはるか上を行っていました


母「私は そもそも一人暮らしだったぁ?」


母の認知症は、父の存在自体を消そうとしていたのです。
60年にもおよぶ父との結婚生活をなかったものにしようとしていました。


父は生涯 母を守ってきたというのに

母が言う「お父さん」は自分の実父のことです、どうやら。


とても とても とてもショックを受けて、軽いパニック状態になっていました、私はたぶん。
「何言ってるの!」
「冗談じゃない!」

本気になりました。女優にはなれなかった。父があまりにも不憫で。


たまたまメッセージをくれた友達に訴えたら
「落ち着いて落ち着いて。お母さんは病気だからしょうがない」「否定したらダメ」

このお友達は数年前に お母さんを見送った方です。それでも理解してはもらえなかった。


そうだよ
相手は病気なんだよ
それはわかっているけど、父の存在自体を消そうとするなんて許せない

認知症の家族を介護した経験がない人にはわからないんだなあと実感
経験した人だったとしても、一人ひとり違うのでしょうね。
私の母は、父の存在自体を消そうとしています。

こわいな認知症


私は顔写真入りの家系図を作りました
父と母が結婚
生まれたのが たた美と ひでお

たた美がだんなさんと結婚して
生まれたのが いっちー とP 介

顔写真つきで。

家系図.jpg


何度も説明を繰り返しているうちに、だんだんと間違えないようになってきました

これからは 「父の存在を消さないこと」と「認知症」とたたかって行きます


家族の会とか行ってみようかな










父が亡くなりました

2019年7月29日

最愛の父が亡くなりました。

さすが父!
老衰で亡くなったのです。
94歳でした。

最期まで歩いていました。

最期に ニカーっと 笑いました。

「おかえりなさーい」と私が言ったのに対する応えでした。

誤嚥性肺炎で4日ほど入院し、退院して家の敷地内に車(弟の)で帰りました。
助手席から、なんとか出てきた時に 私が声をかけたのです。

「おかえりなさーい」
それに対してニカーっと。


それが最期でした。

そのあとは一歩も出ず
目がすわってきました

心臓と呼吸が止まり、再び救急車で入院。

延命はせず、三日後に入院先で亡くなりました。


すごいなぁ
94年の人生。
すごい。
男性の平均寿命を20年くらい上回っているよね

死んで行く身体には、水も栄養も必要ないらしいです。
与えられると かえって苦しいんだって。

そのことを友人(元ケアマネ)から聞いていました。
なので 医師から「どうしますか」と言われた時に
「治療しない幸せもある」って言えました。

「死ぬのはしょうがないけど、痛いのは嫌だな」と聞いていたから言えたことでした。

弟は「いざそうなった時には自分はどう思うかわからない」と言っていました。
延命してくれ、と思うかもしれない、と。

でも大丈夫でした。
「うん」と言ってくれました。

喉を切開して栄養を入れる、などは せずに済みました。

お父さん、ありがとう。
十分でした。

十分に生きてくれました。
認知症になった母の介護もしてくれていました。
食事、掃除、洗濯。
10年以上。

なによりも存在がありがたかった。
お父さんという存在が大きかった。

最後、家事はできなくなっていたけど、父は私の心のよりどころでした。
きっと もうすぐ違う世界に行ってしまう。
1年で10キロ痩せてしまった。
腸が栄養を吸収できなくなっている。

覚悟はしていました

でも本当に死んでしまうのね、人間って。

90、100まで生きるというのも遺された人たちへのプレゼントかもしれません

「せめてもう一度会いたい」とか「こうしてあげればよかった」とか、そんな後悔は一切ありません。
伝えたいことは全て伝えることができました。
「今までありがとう」「お父さん、大好き」

だって94歳まで生きてくれたのだもの。
言いたいことを言う時間は たっぷりとありました。


ありがとうお父さん。
不自由になった身体を脱ぎ捨てて、自由になってください。